マカの歴史は繁栄と滅亡の歴史

マカがインカにおいて、英雄や貴族が食べていたという記述はたくさんあります。ですがそれ以外にもマカには長い長い歴史があります。

小さな一部族が長い旅の末たどり着いた土地で栽培され、栄華を謳歌していたところにスペインからの徴収。それによる絶滅の危機。そこから世界に羽ばたくまでに様々なドラマがありました。

今回はそんなマカがどのようにしてインカで栽培され、そしてなぜ世界中で広く食べられているのかをご紹介したいと思います。

マカは元々チベット原産

チベット国旗

多くのサイトや本では「マカはペルー原産」と説明していますが、それは間違いです。マカは元々「チベット(現:中国の青海省)」の奥深くに自生していた植物なんです。

ではなぜマカがペルーで育てられているのでしょうか?詳しいことはいまだにわかってはいませんが、最も有力な説は以下のようです。

「元々チベット民族だった人が移住を行った際にマカを持って行った。その移住者達が南米ペルーへたどり着いた為、そこでマカを栽培行い始めた。」

その移民たちが南米ペルーへたどり着き、マカを栽培し始めたのは今から2000年ほど前です。

マカと共にペルーは発達する

インカ帝国

先ほど、マカの栽培が始まったのは2000年前だと説明しました。

ペルーではチベット民族がやってくる前から人は住んでいましたが、決して「国」とは呼べないような状態でした。。

チベット民族がペルー人になじみマカの栽培が始まったころ、南米は急速に発達し文明が誕生しました。

しかし、文明が発達すればするほどとある問題が大きくなってきます。その問題とは「物流」。

南米ペルーは山間部の標高が非常に高く、そこまで荷物を運ぶには牛やアルパカの体力が持ちません。その為、原住民の人たちはそういった家畜や動物たちにマカを与えて精力を付けました。

結果、ペルーの動物たちのパワーは世界有数の高度に生息しているにも関わらず元気に繁殖が行われています。

マカは何も精力の増強だけに使われたわけではありません

「現地宗教での祭壇にマカがささげられた。」

「戦争で敵と戦う前にマカを食べて英気を養った。」

「活躍したら大量のマカを褒美として授けた。」

「通貨代わりとして物々交換されていた。」

というスペインの文献や遺跡跡が今でも残っています。

資料を見るに、どうやらマカを日常的に食べられるのは一部の特権階級や兵士のみだったようですね。

肝心の食べ方ですが、インカ帝国では伝統的な「チチャ」という甘いお酒にして飲まれていたようですね。「マカを飲むと性的な気分になる」という伝承は、このときのお酒の効果だったということがのちの研究でわかっています。

そんなマカとともに発展してきたペルーですが、1528年に滅びの時が来ます。

スペイン人によるマカの略奪

インカとスペインのコンキスタドール

1528年、初めてペルー(当時はインカ帝国)に白人(スペイン人)がやってきます。

スペイン人のリーダー、フランシスコ・ピサロはそこで「インカ帝国には大量の金銀財宝がある」という噂を聞き、すぐさまコンキスタドールと呼ばれる征服部隊を編成。1531年に約180人の兵と37頭の馬を引き連れてインカ帝国約2万人と戦争を行いました。

戦力差100倍と普通なら無謀な戦いですが、インカ帝国には剣が存在せず木でできた弓や武器しか持っていません。一方スペインには剣や銃・大砲・馬などを投入したこともありインカ帝国は滅びました。

さて、この戦いではマカの有名なエピソードがあります。

スペインがペルーを征服した時、スペイン軍の連れてきた馬が高地の環境に順応できず、交配して子供を作ることなく死んでしまう危機に瀕した際、原住民の勧めでマカの葉を馬に与えたところ、みごと馬の繁殖に成功し、結果的にインカ帝国の征服に成功した。

このエピソードがあってからスペインでもマカについて研究などが行われました。
1553年にはコンキスタドールであり調査団の一人「シエサ・デ・レオン」はマカをその記録と共に本国へ輸出しました。

ちなみにその時の記録の内容はというと・・・

マカにはどんなに疲れた家畜・人でも一発で元気にする効果がある。」

不妊の家畜や人にマカを毎日食べさせると妊娠できる体に回復できる。」

「マカを食べたインカの兵たちは戦いが終わった後性欲が高ぶっている。」

といった内容です。

マカの効果と報告に驚いたスペイン本国は毎年大量のマカを本国へ徴収と同時にペルー人のマカの使用を禁止

栽培に関しても徴収用以外は育てることができなくなりました。もっとも、現地民はスペインにバレないようにこっそり栽培し続けたようですが・・・。

スペイン王室の食事風景

スペインに届けられたマカは主にスペイン王室御用達の食べ物として調理されたという記録が残っています。

スペインにまで輸出されるようになったマカですが、実はこの後絶滅の危機に瀕することとなります。

マカは今現在でも生産地が限られるほどの栽培が難しいハーブです。スペインへ輸出されたマカは全て栽培に失敗しており、なおかつペルーではスペインへ強制的に大量のマカ(9トン)を輸出していたことから、その量が激減。

1824年にスペインから独立する頃にはマカはほとんど残っておらず、1980年には「国際生物多様性センター」から「マカは未だ絶滅の危機に瀕ている」としてレッドリストに記載されたこともあります。

マカを救った「グロリア・チャコン博士」

グロリア・チャコン博士

マカのことを語るうえで、重要な一人の女性がいます。その女性の名前はグロリア・チャコン(Gloria Chacón)博士

彼女は1940年11月4日にペルーのリマに生まれました。1959年には当時では珍しい女性として国立大学市長デサンマルコス(UNMSM)に入学。そこで生物科学を勉強しました。日本で言えば大卒すら珍しい時代に東大に入学するようなものですね。ちなみにこのデサンマルコス、アメリカ大陸で最古の大学らしいですよ。

チャコン博士は大学入学直後の1959年に初めてマカのことについて知りました。そこでは「マカは昔ペルーでの伝統的な野菜だったが、今では絶滅の危機に瀕している古代食である。」「マカの成長過程の流れや基本的な栽培方法」ということのみを知ったのですが、チャコン博士は「絶滅の危機に瀕しているのに情報が全然ないなら、私が研究しよう」と思い立ち、1960年に本格的なマカの研究を始めます。

マカの不妊効果や生殖機能の向上効果の証明や、マカの有効成分が根に集中していることを確認したのは在学中の彼女の功績です。なお、卒業論文もマカのことについてだったのですが、これが初めて学会などにマカの存在を伝えた最初の研究だといわれています。

1962年、大学卒業後もマカの研究を・・・といいたいところですが、この後しばらくは夫であるザガリアス博士の手伝いとして「海洋学」の研究を行うため、いったんマカから離れてしまいます。

自国であるペルーの海洋資源の研究を始め、インドのガンジス川とベンガル湾の生物研究、1966年には国連からの依頼でバングラディシュの漁業についての研究も行ったそうです。様々な研究の結果、1972年に博士号を取得。その後も1990年まではペルーのエルニーニョ現象について研究しました。

1990年の夫の死去後、彼女は再度マカの研究に戻ります。夫の亡くなる1年前、ペルーのクスコ、フニン、パスコの気候を調べている時に偶然新種のマカを発見。1990年に「レピディウム・ペルビアヌム・チャコン(Lepidium peruvianum Chacón)」という学名を付けました。実はこのマカこそ、現在私たちが口にするマカなのです。

彼女は今までの研究を生かしでマカの栽培や研究、シンポジウムに参加しました。ちょうどこの頃初めてマカが日本でも紹介されていますね。

1993年には国立科学財団(SCOR)の助成を受け、19件のマカについての科学調査結果報告と10冊を超えるマカの書籍を発行しています

彼女の精力的な働きの結果、マカの栽培面積は1997年200ヘクタールだったのが、2005年には6500ヘクタールまで増加しています。東京ドームで換算すると、42個分だったのが1390個分になったといえば凄さがわかりますね。

こうして、1960年段階では絶滅危惧種だったマカは、現代では世界中に販売されるだけの生産量になったのです。

しかし、生産されるようになっただけではマカが世界中に販売される理由にはなりません。いったい何があったのでしょうか?

マカが世界中に輸出される理由

マカブームの火付け役はアメリカ

マカの輸出

マカの価値を一番最初に見出したのはペルーで一番近い大国である「アメリカ

アメリカは今も昔もサプリメント大国なのですが、法律が物凄く厳しいです。たとえ成分が1ミリでも違うと国から販売停止。効果効能についてもしっかりとしていないと国から叱られるというレベル。日本だと考えられないですよね。

ここで注目されたのが「チャコン博士の研究結果」。マカの効果効能も凄いですが、チャコン博士のしっかりとした研究結果のおかげで信頼性も抜群。次第にアメリカで最もメジャーな精力食材のひとつになっていきました。

栽培面積の増加は少なからずアメリカでのブームが関係していますね。

日本でマカがブームになった理由

マカの輸出

日本でマカが知られるようになったのはちょうどマカの価格がバブル状態だった1990年と言われています。

大阪で開催された「国際花と緑の博覧会」にてペルーが「マカ」を始めて日本に紹介したといわれており、その後1997年に輸入が開始。翌年、日系人でありペルーの大統領であるフジモリ大統領が来日したさい、マカのよさをアピールしたという記録が残されています。

1990年といえばちょうどチャコン博士がマカの研究を再開したころであり、1997年はマカの栽培面積がまだ少なかったころ。日本もかなり早い段階でマカに着目していたんですね。

ただ、1997年段階だとあまり日本ではブームになっておらず、細々とした販売だったようですね。2003年でもまだ10トン程度なのを考えると、市場の小ささがわかります。

もっとも、この頃になると栽培面積が増えてきているので価格・輸出可能量が増え始めてきます。栄養ドリンクブームと一緒にマカが配合されたり、健康食品や精力サプリとしてマカが配合されはじめ、2012年では196万トンまで増加しました。

ヨーロッパでは今マカブーム!

マカの輸出

ヨーロッパ全土でマカが知られるようになったのは実は最近で、ちょうど今がマカバブルの真っ最中。

ペルー統計局によると、2003年のヨーロッパ向けマカ輸出量は3トン程。これは日本の1/3ほどだったのですが、これが2012年だと197トンと大幅に増加。今や日本の169トンを超えるほどの市場になっています

(※それでも国別にみるとアメリカに次いで日本が2番目に市場が大きいです。)

日本・アメリカ・ヨーロッパ。その全ててマカの輸入量は右肩上がりであり、今後は東南アジアや中東などでも需要は見込めるでしょう。はじめはペルーの一地方でしか食べられなかったハーブは、今やペルーの経済を支える最重要な食品になっているのです。

まさかマカはスペインの王様も愛用していたなんて驚きだね。

一度絶滅に瀕したマカだけど、それが結果的にチャコン博士の目に留まり、パワーが世界中に知られるようになった。そしてではペルーという国を支えるまでに成長したんだね。

今後もマカサプリに注目だね。